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【まとめ】東浩紀『動物化するポストモダン』

記念すべき書評第一回は、動物化するポストモダン-オタクから見た日本社会』

 

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 

なかなかセンセーショナルなタイトルである。

 

昨今、「愚民社会」やら「一億総ガキ社会」といった挑発的なタイトルの本で溢れているが、一方的かつ検証不能なイメージが勝手に先行して敬遠していた。

 

この本はどうかというと、これまでのサブカルに関する考察を丁寧に踏まえており、そういった類の書物とは一線を画すものといえそうだ。

 

さて、内容についてであるが、筆者によれば、「※1オタク系文化の本質」と「※2ポストモダンの社会構造」の間には既に以下のような共通点が挙げられているという。

 

1.二次創作の横溢=シミュラークルの全面化

 二次創作とは原作のマンガやゲームを主に性的に読み替えて制作・売買される同人誌、同人フィギュアなどの総称を指す。

 これはフランスの社会学者、ジャン・ボードリヤールが予見した文化産業の未来に近いという。ボードリヤールポストモダンの社会では、作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的になると予測していた。(p.40-41)

 

 

 

 

※1 コミック、アニメ、ゲーム、SF、フィギュアその他が互いに結び付いた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称(p.8)。

 

※2 70年代以降の文化的世界を指す。その起源は複製技術の登場や人間観の変容など20年代から30年代に遡る。19世紀的な近代の産物である啓蒙や理性といった「大きな物語」が第一次大戦によって凋落し始めると、1989年の冷戦崩壊により共産主義という最後の大きな物語を人類は失うことになる。

 

 

 

 2.大きな物語の凋落

 共産主義単一の大きな社会的規範が有効性を失い、無数の小さな規範の林立にとって替わられるというその過程が、まさに、フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールが最初に指摘した「大きな物語の凋落」に対応している。

 現実の「大きな物語」が失われた結果生じた空白を埋めるべく、虚構のなかに物語を求めるようになったという。オタクたちの行動を特徴づける虚構重視の態度はそのように説明されている。

 

また、近代からポストモダンへの移行(1970年あたり)にあたって、物語の凋落とオタクの出現の関連性を次のように述べている。

 

"近代は大きな物語で支配された時代だった。それに対してポストモダンでは。大きな物語があちこちで機能不全を起こし、社会全体のまとまりが急速に弱体化する。日本ではその弱体化は、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、石油ショックと連合赤軍事件を経た70年代に加速した。オタクたちが出現したのは、まさにその時期である。(p.44)"

 

 

ふーむ。「物語」と聞くと、戦後日本の高度成長で全ての国民が「頑張れば今よりも明日の暮らしがよくなる」という『ALWAYS3丁目の夕日』的な価値感を想起させられるが、世界の座標軸で捉えなおすと「啓蒙や理性」まで物語の射程で捉えるあたり新鮮であった。

 

続けて、オタクとは物語を必要とされる時代に育つも、社会の物語が凋落し、それを補完すべく虚構に物語を求めたという。90年生まれの私は物語を必要としない世代に含まれ、ひたすら※3データベースを消費する行動をとるようだ。

 

※3筆者はインターネットを例に説明している。インターネットには中心がないことから全体を規定する「大きな物語」は存在しない。一方に情報の蓄積があり、他方にユーザーの「読み込みに応じて」つくられたウェブページが存在する二層構造の仕組みだ。表層はシミュラークル(本物と偽物の区別がつかない小さな物語)で溢れているが、深層にはデータベースが存在し、小さな物語で分解された「萌え要素」が蓄積されており、互いの層が影響し合う関係にあるという。

 

ふと、この説明を聞いて思いついたキャラクターがある。名探偵コナン灰原哀エヴァンゲリオン綾波レイだ。理由は同一の声優であるということ。つまり萌え要素としての「声」が同じデータベースから抽出されキャラづくりに採用されたということである。この場合、時系列的に綾波レイ(前)のシミュラークルとして灰原哀(後)が作られたと考えられる。著者によれば、綾波レイの元となるキャラクターが存在していたようだ。その他に気づいた共通の萌え要素を挙げるとすれば、髪が「ボリューミー」で「内巻き」であるということ、「キャラクターの背後にある神秘性」などだろう。

 

他にも筆者が挙げている「萌え要素」の例として、「不治の病」「前世からの宿命」「孤独」などがある。

 

「不治の病」「孤独」については想像に難くない。弱い男でも「所有できる」というマッチョイズム的な自信を与え、あるいは「あなた無しでは生きていくことができない」という依存の感覚に男としての本能を奮い立たせるのだろう。

 

END